みなさんが自分の国の歴史について意識をもったのは、いつくらいでしたでしょうか。
私は小学校の高学年でした。単純に「社会科」の授業で、歴史を学んだことが
きっかけです。学校で「歴史」に触れた結果、好きな教科にカテゴライズされたので、
勉強の面ではあまり苦労しなかったのですが、もし、教科学習から離れたところで
「歴史」に出合えていたら、ものごとが表層だけでなく、厚みのあるものとして目に映っただろう、
そして、それは自分の選択を変え得うる力になっていただろう、とも感じていました。
こどもが幼稚園に通っていたころ、一緒に時間の軸をさかのぼって、自分の国をたどる
経験をしたいと思いまして、年少から年中のころだったでしょうか、ためしに歴史絵本を
1冊購入しました。本当は絵本ではなく、近くに遺跡などがあって、一緒に行くのがよいので
すが、致し方がないです。だからこそ絵本!「むかしを知る」手がかりとして、ここでも
その恩恵をうけることにしました。
初めてのれきし絵本は「じょうもんのくらし」
今から5000年くらい前の狩猟採集の生活が、じょうもん君一家を中心にした楽しい
ストーリーで描かれています。予想以上にこどもたちに大受けでした。
「子どもの興味が向かないかもしれないけど、それなら関心がうまれるまで、待てばいい」と
考えていた私は、びっくり。
ストーリーの展開も、どこでバカ話があるかも知っているのに、何度も何度も読み聞かせを
ねだってくる姿。自分が遠い昔に失ってしまった「こどもの心」のピュアさがたまらないな~、
と感じた時期でもありました。
「じょうもんのくらし」を味わい尽くして絵本の存在がぼやけたころに、
次の「やよいのくらし」を購入。
このシリーズは縄文から昭和まで全部で12巻あるのですが、私がこの絵本を知ったときはすでに
絶版だったため、中古市場で程度のよさそうなものを物色しては購入&保管していました。
そして、手元のれきし絵本をぞんぶんに楽しみおわったころを見計らって、
次のものを与えてゆきました。といっても、すでに絶版。
物がないと始まらないので、メルカリやオークションでめぐりあわせが
ないときは、下記のれきし絵本でも代用できると思います。
れきし絵本 こどもを魅了するもの
全編通してストーリーに小さい子供受けする「おもしろポイント」が織り込まれているので、
読んでいてたのしいのです。随所にある「ひとくちメモ」に、その時代を代表するものを
取り上げて特長の詳しい説明があり、時代の理解が深まるのもなかなかよいです。
たとえばこんな感じ。
平成生まれのこどもにとって、「犬」と言えば、愛玩動物のイメージが強いですが、
縄文時代のそれは、人間が生きるための狩りを手伝う「戦友」だったという
ギャップに関心を示していました。
どの巻からも、いまとの相違点がみつかります。(あたりまえですが)
純粋な物語の世界とは一味違うこんな絵本のたのしみも、なかなかいいものです。
れきし絵本から離れて 実際に遺跡にでかけてみる
よい季節を選んで、れきし絵本で学んだ時代の遺跡に家族で出かけたりもします。
縄文時代は実家に帰省した際に、弥生時代は静岡県まで足を延ばして
登呂遺跡(https://www.shizuoka-toromuseum.jp/)や、
大阪の弥生文化博物館(http://www.kanku-city.or.jp/yayoi/)にも(弥生人のミイラに叫喚)。
古墳時代は、今住んでいる地域の豪族の古墳。飛鳥、奈良時代は奈良に足を運ぼうと考えていたら、
下の子の興味が戦国時代に飛んでしまったため、どうしようか思案中…。
遺跡に行った際の子どもたちの様子ですが、レプリカや写真などを目にしたり、
実際に触ったりすることで、まるで漆を幾重にもわたって重ねるような感じで
知識の足場を固めていってるように見えました。
また歴史えほんになかった情報にもふることができるので、知識がひろがりを持つ経験も
できたように思います。実際に博物館に行くのは、パンの発酵を待つように、
知識が熟成するのを待つ(たいてい長いスパンでの話ですが)楽しみがあります。
おわりに
「今と違う」ということを知ることが、歴史の入り口だと思います。
少し大きくなって、そこからどの方向に掘り下げてゆくかは自由です。
私は「学校の勉強」として掘り下げてしまったため、学校から離れると終わってしまいました…。
だから、今子どもと一緒に過去をなぞることに、価値をみいだしているのかもしれません。
お子さんが、今れきし絵本に興味を示さなくても、OK。
十人十色。時がくれば、それぞれの仕方で興味もひらきます。
そのときに、一緒にれきし絵本や、遺跡などで遠い昔をたどることができれば、
すてきですね。